12/18西片~本郷探訪記

私が東京の文京区に住むようになったのは約40年前だが、その借家は現在無くどこだったのかわからなくなっています。
住所は文京区向丘1丁目でその辺りと思われる所は駐車場になっています。
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ここで2年ほど暮らしたので久しぶりに周辺の探索をしてみました。

白山駅から向丘に向かうと真っ先に目に入るのが八百屋お七の墓と言われる圓乘寺である。
ここは通勤路だったから毎日のように見ていたし過去にも何度も訪れているが、取り上げるのは初めてだ。

八百屋お七さんは(1668年-1683年4月24日生年・命日に関して諸説あり)、本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。
井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっている。
詳細は:http://bit.ly/2hgp7fs
本日訪れてみたらお七さんとみられる首振り人形が供えてありました。
これは電動なのかずっと動いています。
誰が供えたのかな。粋なことをする人がいるもんだ。
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さてここを出て浄心寺坂(別名お七坂)を登り中仙道の手前を右折しちょっと行くと誠之小学校である。
本校は戦前より都下の有力者の子弟が学区を超えて集まり、その多くが一高→帝大コースを歩んだ都内有数の名門小学校である。
我が子もここに入れたかったと当時は思ったが、まあ無理だっただろうし、伸び伸びと育ったから入れなくて正解だったと思う。
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ここからぷらぷらと本郷へ向かっていたら西片の公民館で餅つきをやっていました。
ああ懐かしいな。餅つきを見たのは何年ぶりだろう。
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このちょっと先に西方公園があります。
ここも何度か訪れたことがありますがしげしげと見るのは初めてです。
よく見たら大きな石碑が建っていて「大椎樹」と彫ってあります。
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その脇に説明版がありました。

400年前から、ここには大きな椎の木があった。
追分の一里塚と共に街道を行く旅人の目印となっており、昔は水道橋方面からも見えていたという。
椎の木は大正4年に史蹟名勝天然記念物に指定され、「大椎樹」の石碑が建立されました。
しかしその後樹勢が衰え昭和63年には完全に伐採されてしまいました。
その跡に子孫の椎の木が植えられ公園の由来を記した銅版の記念碑が設置されたとあります
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この説明版は汚れていて見にくいが確かに大きな椎の木が写っていますね。
ところがこのエッチングの写真をよく見ると左右が反転しているのです。
製版するときまちがったようです。
こちらが正しい写真です。
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こちらが大正11年頃の写真です。樹勢が落ち誠に惜しむべきであると解説されています。
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この間違いを知ったのは後述の「文京ふるさと歴史館」で「ぶんきょうの樹木いまむかし」という写真集を購入したからです。帰宅してからこの間違いに気づきました。
これは捨てて置けないな。ということで本日西片町会に間違いを指摘しておきました。
電話に出た担当女性も今まで気づかなかったようです。
果たして説明版が訂正されるのか。ちょっと注目ものです。

さてここから東大に向かいましたがその途中にあった「本郷館」はどうなったかちょっと寄ってみました。
ここは3年半前にブログに書いたときいずれ取り壊されてマンションになると聞いていたからです。
在りし日の本郷館
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ああやっぱり普通のマンションになちゃったか・・・
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ここから東大の正門に入り安田講堂にちょっと寄ろうとしたら「大隅教授」のノーベル賞受賞の看板が立っており教授が東大卒であることを初めて知りました。東京工大じゃなかったのか。
やっぱりノーベル賞とるような人は東大なのかねー。
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さてそろそろ帰宅しようかとしていたら前述の「文京ふるさと歴史館」を通りかかったので入ってみました。
そこで驚いたのが「千駄木貝塚」から出土した縄文人骨が展示してあったことです。
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その説明書です。
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私は思わず写真を撮りましたが、撮ってからわかったのですが、「写真撮影禁止で撮るなら許可申請をせよ」と表示がありました。
そこで申請書を書いたのですが、それがきっかけでボランティアの説明員と会話が始まり神田上水や下水の話で小一時間盛り上がりました。
さすがですね。文京区のことを良く知っていました。
大変勉強になりました。

ここからリニューアルされた真砂図書館を覗いて帰宅しました。
この図書館は文京区一というくらい郷土資料が豊富でした。
いずれお世話になるでしょう。

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